自身のMASTER PIECEを作りたいと挑む人の思い、その思いや技術が周りに継承され新たな進化や、時代が広がっていきます。(MA)Pプロジェクトは、次の進化の「源泉」となる人を育てていくためのプロジェクトです。
600年の歴史を持つ井波は、時々の時代で進化の「源泉」となる人材を輩出してきました。
ひとりの技術と熱意が、町の人々や弟子につたわり、次の時代のスタンダードとなっていく。
井波からうまれたMASTER PIECEが、日本や世界へ受け入れられていく景色を多く生み出してきました。
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前川三四郎
井波が木彫刻の地となるきっかけをつくった人。瑞泉寺の再建のために京都から呼び寄せられた青年は、地域の人々に彫刻の技術を知らしめる。これにより200名余りが従事する日本一の木彫産地が誕生。
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清水喜助
今や日本を代表する清水建設の2代目社長。井波で生まれ、大工を天職と決める。後に、江戸にでて外国人技術者と働きながら西洋建築を学び、明治政府や、三井財閥からも仕事を受け、事業家としても成功。
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棟方志功
日本が誇る板画家。18歳でゴッホの「ヒマワリ」を見たことを機に『わだば、ゴッホになる。』と油絵を描き始める。富山への疎開をきっかけに井波の土徳文化と出会う。18歳の少年は生涯を通じて「世界のムナカタ」となり多くの作品を残す。
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松井角平
写真は5代目角平恒信(明治2年~大正11年)
井波出身の寺社専門建築家
松井建設は創業1586年であり、国内上場企業で最も古い会社の創設者一族である。
特に5代目角平恒信は、現存の瑞泉寺太子堂を再建した棟梁として名高い。当時日本建築界の権威者であった東京帝国大学教授伊東忠太博士は、角平恒信のことを「日本建築界の巨匠」と称えその名を挙げている。